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社名 |
清水礦業 株式会社 |
住所 |
〒714-0071 岡山県笠岡市東大戸4270 |
電話番号 |
0865-63-4311 |
FAX番号 |
0865-63-4312 |
E-mail |
info@shimizu-kougyou.jp |
役員 |
代表取締役 清水 忠 |
従業員 |
10名 |
取引銀行 |
株式会社 中国銀行 笠岡支店 玉島信用金庫 笠岡支店 |
営業内容 |
笠岡特殊粘土・モモタローねんど(どろだんご)
ガイアフィールドライン(グラウンド用白線)
Eco粉(虫餌の滑り止め)の製造販売
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沿革
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昭和16年6月 |
初代取締役社長清水忠治が粘土埋蔵地帯を発見し清水礦業所設立、 呉及び光海軍工廠へ納入を開始。 |
昭和22年4月 |
終戦後時代の発展と鋳物技術の発展に伴い、粉末粘土の調整工程を 完成し、笠岡市笠岡5643番地にある休業中のアス煉瓦工場を借受け、 粉末粘土の製造を開始。 |
昭和28年11月 |
前記借用工場を返却、現工場所在地へ工場及び営業部を新設。 |
昭和29年12月 |
工場を増築、大型粉砕機一台増設、生産態勢を整備。 |
昭和31年12月 |
資本金参百萬円にて清水礦業株式会社と改称。 |
昭和34年3月 |
教育用、彫塑陶芸用のモモタロー粘土の製造販売開始。 |
昭和40年11月 |
代表取締役 清水忠治が笠岡市・井原市一帯に埋蔵している粘決力の 強い粘土を発見したことで、岡山県より地域産業功労者として表彰を 受ける。 |
昭和46年4月 |
発破用込物(マイター)製造販売開始。 |
平成8年3月 |
資本金壱千萬円に増額。 |
平成8年4月 |
粉末粘土等ブレンド加工業を開始。 |
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創業の経緯
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昭和16年6月1日 清水砿業所として創業
第二次太平洋戦争(日本史上未曾有の戦いへ入る)
小学校→国民学校に改称
真珠湾攻撃の行った年
昭和15年の暮れ、岡山県浅口郡金光町(現浅口市)
清水忠治(当時19才)、猟銃と犬を連れて山吹山へ向かいました。
「岡山県小田郡新山村(現笠岡市山口)」
その日はとても寒く雪が降りそそぎ山の一軒屋に身を寄せました。
中には一人のおじいさんがいろりの側でどろのようなものをこねて何か作っておりました。
雪もやみ礼もそこそこにして立ち去ろうとした時
「あーさん、あんたはまだ若い!これからじゃ・・・
このどろが何かの役に立つかも知れん持ち帰ってみんせえー」
古びた新聞紙に5~6ヶに分けてくれました。
老人の言葉にイヤとも言えずポケットにつめ込み縁側の片すみに広げてそのままでした。
新春早々、呉在住の知人浅海氏来宅。
縁側の品に目がとまり友人は預からせて欲しいと持ち帰りました。
※浅海氏=当時、呉で海運省指定の軍需品を一手に引き受けている御用商人
使い物になる・・・羽白粘土と品名をつけ、大至急出荷計画にかかれとのゴーサイン。
早速粘土埋蔵地帯の周辺と交渉して納入開始。
呉及び光海軍工廠へ納入を開始。
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